環境研(国立環境研究所)は、一言で説明すれば「環境研究のデパート」みたいなところです。地球温暖化はもちろん、オゾン層や酸性雨、生態系、廃棄物、大気汚染、水質汚染など、環境に関するあらゆることを研究しています。ここでは、それぞれ違う分野で集まってきた人たちが、お互いに協力し合って研究を進めていける体制が整えられてきています。
2007年度からは、環境研の中で地球温暖化にかかわる研究をしている人たちが「地球温暖化研究プログラム」という形で“束ねられ”、その中心となる組織体が地球環境研究センター内に設置されました。
このプログラムの中に、4つの中核プロジェクトがあり、そのうちのひとつを担当しているのが我々の「温暖化リスク評価研究室」になります。リスクの評価ということで、将来の気候変化の予測と、その影響評価を行っています。
――地球温暖化にともなうリスク評価とは、具体的にはどのようなことですか。
江守: ひとつは、気候の変化予測です。これは、大気と海のシミュレーションモデルを作り、例えば二酸化炭素(CO2)がこのように増えて行くと、100年後に温度はどう上がるか、雨はどこがどう増えるか、または減るかという、気象学的な、あるいは海洋物理学的な計算をコンピュータでシミュレーションしています。
一方で、その結果を用いて「じゃあ、温度はこう上がって、雨がこう変わった時に、農業はどのように変化するのか?」「水資源はどうなるのか?」「海面が上昇すると、どのような被害が出るのか?」等々、様々な社会的影響を研究している分野があります。
これらの、元は別立てだった「気候変化予測」と「温暖化の影響評価」という2つのテーマをつなぎ合わせて「温暖化リスク評価」としています。
我々のこの体制が出来上がった頃は、世間的にもちょうど、「この2つの研究は、もう一緒にやった方がよいのではないか」という気運が高まっていた時期でもありました。
それから、「リスク」といっているのは、「不確実な将来に関する意志決定をしなくてはならない状況において、その意志決定の材料になるような情報を提供している」という意味合いからです。
気候の予測にしても、影響評価にしても、現在の科学やコンピュータでは、それほど正確には分からないという部分がかなりあります。
じゃあ、不確かではあるけれど、だいたいこうであろうという情報を世の中はどう使っていくべきか……。そういうことを含めて、「リスク評価」という言葉で取り扱っていきたいと思っているんです
昨年夏に更新された日最高気温 これは温暖化によるもの?
――将来のことが分からないのは当然ですが、過去の現象を積み上げていけば、ある程度見えるところがあると思います。でも、ここ10年間くらいはそれが通用しなくなっているような感じを受けます。特に温暖化に絡んだ現象を考えると、ここに来て急激に色々なリスクが高まっているような印象です。
江守: 確かにこの10年間というのは、かなり変わってきた10年間ではないのかと思います。ただ、異常気象などの気候に関する出来事は、やはり偶然に左右されているところが大きい。例えば、2005年にハリケーン・カトリーナが米国のニューオーリンズを襲いました。でも、これが温暖化のせいかというと、はっきり言って分からないですよね。
気候は、外部的に何の変動要因を加えられなくても、“自分の中に持っている仕組み”で、勝手に高気圧が来たり、低気圧が来たりと揺らいでいます。それがたまたま極端に振れた時を異常気象と呼んでいて、これは別に温暖化が生じなくても起こるものです。
では、温暖化が生じて起こることは何か? 「ある種類の異常気象は発生確率が高まる」「今までにはなかった規模の異常気象が起こる可能性が出てくる」ということです。
――それは何らかの実験、あるいはデータによって、既に明らかにされているのですか。
江守: ものによっては、明らかになっています。具体的には、これはもう当たり前のことですが、温暖化すれば、極端に暑い夏や極端に暑い日が増えます。
昨年の夏には、40.9度という、日本の日最高気温の最高記録が観測されました。でも、これが温暖化のせいであるとは、やはり言い切れません。74年前にも40.8度という記録があり、これはまだ、それほど温暖化していない時です。だからこれは、偶然でも起こり得ることなんですね。
ところが、国内における日最高気温記録のベスト10を並べてみると、そのほとんどがこの十何年かに集中しているという事実もあります。つまり、個々については温暖化の影響であるといえなくても、統計的にみて、極端に暑い日が起こる確率は確実に増えているということが科学的にいえるわけです。ただ、その原因の一部には都市化の影響もあることを忘れてはいけませんが。
そして、ここからはシミュレーションになりますが、将来、温暖化が続いていった時には、こうした異常気象がさらに増えていくだろうと予測されるのです。
その他の異常気象とは、どのようなものですか。
江守: あとは豪雨が増えますね。雨は気温以上に変動が激しく、さらに偶然に支配されるところが大きいので、傾向としてはっきり見えてくるのはもう少し先になるかも知れませんが……。
原理的には、暖かい空気ほどたくさんの水蒸気を含むことができますので、温暖化すると大気に今よりたくさんの水蒸気が含まれた状態になります。すると、これまでと同じような低気圧で雨が降った場合でも、周りに水蒸気が多い分だけ、雨量が“割り増し”になるんです。特に強い低気圧が来ていなくても、豪雨の頻度が増えるので、洪水などの心配も増えるというわけです。
――豪雨の頻度を統計すると、やはりここ10年間くらいに集中しているという傾向ですか。
江守: はい。気象庁の研究では、過去100年間における強い雨の出現頻度を調べたところ、どうも増加傾向にあるということです。先ほど言ったように、雨は非常に変動が大きいので、最近10年間くらいの数字ではあまり当てにはなりませんが、長期的に見ると、やはりそういう傾向が出ているようです。
一番怖いこととは何か「温暖化」の全体像を捉える
――今、お話しいただいたようなことも含め、温暖化リスク評価研究室の研究内容は多岐にわたると思います。その中で、何か大きなポイントとなるようなところはあるのですか。
江守: 温暖化といった時に、いつも挙がってくるものがいくつかあります。
まず、水害と水資源の問題です。先ほど大雨の話をしましたが、温暖化の影響で、場所によっては雨が降りにくくなるところも出てきます。それと、地面から水分が蒸発しやすくなるので、干ばつになるところが出てくるということです。
それに関係して、暑すぎて、あるいは干ばつによって、農業生産性が落ちるという農業の話もあります。あとは海面上昇の話もありますね。
健康に関する問題でも、熱中症などといった、暑さによる直接的な影響というのがあります。
それから伝染病──例えば、これまでは熱帯にしか住んでいなかったマラリアをうつす蚊が、温暖化することで、段々と緯度の高いところにも住めるようになるなどといったことが起こります。もちろん、その蚊がいるだけでマラリアが流行するわけではありませんが、そういう伝染病がはやる危険性が増えますね。
そして、ホッキョクグマの話に代表されるような、生態系の破壊も挙げられます。例えば、高山植物だとか高地に生息する昆虫だとかが、温暖化によって上へ上へと、どんどん追いやられてしまう。誰も知らないところで幾つかの種が絶滅しているということが、既に起こっているかも知れません。
我々の研究室では人数も限られているので、この中で自分たちが直接シミュレーションして研究できる項目も限られてきます。今、できるのは、熱中症と農業、水資源くらいです。
あとは、国内の様々な分野の研究所と協力して、なるべく「全体像を描く」ということを心がけています。どうしても研究をやっていると、自分の得意なところばかりになってしまい、他のところはどうなっているのかが分からなくなります。他の問題と自分のやっている問題のどちらが大事そうなのかなど、分からなくなってしまうのです。
ですから、なるべくそうならないように、常に全体像を描くということを、今は意識してやっているところですね。
――その「全体像を描く」ために、具体的にはどのようなことをされているのですか。
江守: ひとつには、環境省の下に作った大きな研究プロジェクトがあります。そこで色々な分野の人たちをカバーして、それぞれの人がシミュレーションした結果をまとめ上げていく、ということをしています。
それでも、すべてをカバーし切れてはいないでしょうね。例えば、なかなかシミュレーションに“のらない”ような、よく分からないこと。しかし、もしかするとすごく大事なこと、そういうものが他にもあるのではないかと…。
そういうものに関しては、世界も含めて、今、世の中でどのようなことがいわれているのかをサーベイ(調査)し、なるべく“相場観”を持つようにしています。
そして、温暖化を全体的に見て、それがどう怖いものであるか、色々いわれている中でも「ここが怖い」と思われるところはどこなのか、そういうことをきちんと描いて行きたいと思っているんです。
――それはだいたい、どれくらいの期間で、とお考えですか?
江守: 研究のタームでは5年間くらいです。最初にお話しした温暖化プログラムの下にあるのが、5年間のプロジェクトになります。ですから、だいたいそれくらいで一区切りです。
全体像を描いたら、もう分かったところからどんどん外へ発信して行きたいですね。その時には、なるべく慎重に、かつバランスよく伝えたいと考えています。
温暖化したら何が起こるのか、それが我々にとってどういう意味を持っているのか──。もし、自分たちの研究では分からない部分があっても、今まで言われていることというのを束ねて、自分たちなりにバランスよく描いて外に発信する。それだけでも、十分、役立つことがあると思うのです。
悪い影響ばかりではないが世界は確実に生きにくくなる
――これまでのお話しの中で、地球温暖化に伴うリスクとして研究対象となるものを幾つか上げていただきました。それらを聞いていると、やはり温暖化は、人間社会や自然環境に悪い影響を与えるということですね。
江守: そうですね、実はこれもバランスよく伝えたいと思っていて、中には良い影響もあります。例えば、温暖化して気温が上がると、暑すぎて亡くなる方は増えますが、逆に寒すぎて亡くなる方は減りますよね。
熱中症とか、凍死といった極端な話じゃなくても、何か疾患を持っていて、特別な暑さや寒さが死亡原因になる人がいます。そういうケースを数えて、気温と死亡率の関係式などを作って計算すると、「暑くて亡くなる人は増え、寒くて亡くなる人は減る」という結果が出てきます。
あるいは、温暖化によって、今まで寒かった地域にも農業の適地が増えるのではないかということもあります。最近は、北海道でもおいしいお米が取れるようになったと聞きますが、まあそれは、暖かくなったせいか、それとも品種改良などの技術面が発達したことが大きいのか、はっきりとは分かりませんけれど。
だから、全部が全部悪いことではないのです。しかし、これまでの研究などからつかんだ印象としては、やはり悪いことの方が多そうだな、と。そして、温暖化が進めば進むほど、悪いことの方が増えていくという感じです。
そもそも、今、比較的安定して続いている気候が変わってしまうこと自体、悪いことではないかと思われます。我々は、現在の気候の上に文明を築いているので、それが変われば、変わった状態に適応するためのコストがかかります。
ですから、現状より暖かくなるという変化も、寒くなるという変化も、良くはありません。また、たとえ変化した気候に適応できたとしても、絶対的に何か「生きづらい」ことが出てくると思いますね。
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